山形市の基礎知識

山形市のキホンを考える

山形県山形市の歴史について

山形県は古来から出羽国と呼ばれました。山形県の県庁所在地である山形市内には大ノ越古墳や嶋遺跡など、歴史的に重要な古墳時代の集落跡が発見されています。中世の歴史では14世紀に奥州探題となった斯波氏が山形市周辺に土着して最上氏を名乗るようになり、大きな勢力を奮ったことが挙げられます。最上氏の歴史では、11代目に当たる最上義光の時代に最盛期を迎えました。歴史上「天下分け目の戦い」と言われる関ヶ原の戦いで徳川家康が率いる東軍に味方し、山形県全域と秋田県の一部を含む57万石の大大名となりました。義光は平城では日本最大級の規模を持つ山形城や城下町を整備し、新田開発や社寺の造営などを盛んに行って、山形市の基礎を築きました。義光の死後、後継者争いからお家騒動が起こり、近江国大森藩1万石へ改易となりました。山形は有力な外様大名であった伊達氏、佐竹氏や上杉氏と領土が近かったため、幕府の重臣であった鳥居氏が山形藩主となりました。しかし嗣子が無かったため間もなく改易となり、その後は保科氏、松平氏などが頻繁に交代しました。やがて天保の改革で失敗した水野忠邦の子息が藩主となり、幕末まで水野氏5万石が続きました。明治の廃藩置県では、山形は幕末に戊辰戦争で新政府に敵対する奥羽越列藩同盟に参加していたにもかかわらず、藩名がそのまま県名に引き継がれました。山形市は明治年間に市制を導入し、現在まで続いています。

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